CASE STUDY

導入事例

IPCへのチャレンジ
熊本興畜株式会社
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1室1000頭の大群飼育で戸惑いのスタート

2019.3 Pig Journal 編集部

入社してわずか1年半、社長からある提案を告げられた藤本岬は一瞬、新人の黒谷一祥と目を合わせて言葉を失った。彼らは、1群1000頭を収容するウィーン・トゥ・フィニッシュ(WtoF)豚舎8棟を2人だけで管理している。そんななかで新たに与えられたミッションは、藤本にとって途方もなく大きな挑戦になると思われたのである。

新たな“IPC導入” のミッション

新たなミッションとは、IPC(豚の個体診療)の導入である。日本で初めて紹介されたのは2012年だった。その後、米国のジョセフ・F・コナー博士(カーセージ・ベテリナリ-サービス)も来日セミナーで推奨して注目され始めていたが、国内で本格的に実践された事例はなかった。日常的に行う豚の観察精度を高め、病気の前兆を示した豚を早期に発見し、投薬治療を施す。これにより、飼料添加による漫然とした投薬から脱却し、結果的に抗生物質の投与量や投薬の手間を削減できるのだと説明された。しかし藤本には、その結果をイメージする以前に、日々の管理がどれだけ過重なものになるのか、そのことで頭は一杯になった。

「黒谷と2人、ギリギリの態勢で回していましたから、そんなことができるのか、正直なところ本当に不安でした。社長からは、『やってみて無理だったらやめればいい』とは言ってもらいました。でも、それで事故率が下がり、薬の量も減るのなら、何とかやるしかない、そう腹を決めて講習に臨みました」と藤本は当時を振り返った。

熊本興畜は、2016年にそれまでの母豚310頭から620頭に規模拡大し、現在のスリーセブン× ウィーン・トゥ・フィニッシュの農場が完成した
左が場長の藤本岬さん(33歳)、右が黒谷一祥さん(26歳)。この2 人だけで常時7000頭の肥育豚を管理している
WtoF 豚舎の外観。豚舎周りは広くコンクリートを打ってバイオセキュリティに気を配っている

スリーセブンでウィーン・トゥ・フィニッシュ

熊本興畜㈱(熊本県菊池市)は、2016年4月に、それまでの母豚300頭から母豚600頭に規模を倍増した。従来から採り入れていたスリーセブンシステムによるグループ生産方式を維持するとともに、新たに、28日で離乳してから出荷まで同じ豚房で大群収容するウィーン・トゥ・フィニッシュを導入した。現在、母豚640頭で、これを7つに分けた約90頭のグループ(通常のウィークリー管理では3 週分)が1つのバッチ。90頭の母豚から分娩・離乳される約1000頭が肥育の1グループとなり、その1000頭を離乳から出荷に至るまで収容する豚舎が8棟ある。

各豚舎はドアで通じる2部屋からなる。離乳時には半分の1部屋だけで全頭を収容(倍詰:ダブルストック)。成長に応じて8〜10週齢の間で仕切りのドアを開放し(ダブルストック解除)、2つの部屋に自然に分散させて出荷まで飼養する。出荷が始まると、徐々に残る出荷残り豚を1部屋にかためて1部屋がオールアウトできれば、洗浄・消毒・乾燥したうえで、次の離乳グループ約1000頭を受け入れる。

図 農場全体の豚舎配置図
離乳時から収容するWtoF豚舎が8棟あり、各豚舎は2部屋で構成されている(一部変則あり)。離乳子豚の導入時には2部屋に通じるドアが閉鎖されて、半分の1部屋スペースのみに収容され、8〜10週齢の間で仕切りのドアを開放し、1棟2部屋を自由に往来できるようになる。1棟に1000頭収容する
農場全体の全景(Googleマップ)
表 熊本興畜スリーセブンシステムの豚舎構成
分娩舎が2 棟(あるいは2室)必要となるのがスリーセブンの特徴。離乳した子豚を出荷まで同じ豚舎で収容できる「ウィーン・トゥ・フィニッシュ」も採り入れて作業効率を追求している

1頭につき1〜2秒の観察を毎日7000頭!

豚舎は、中央に2つの部屋を仕切る壁があるだけで豚房はない。さらに、通路も“無駄” として排除してしまったため柵もない。離乳子豚は1部屋約1000 頭、肥育期となれば1部屋約500頭が遮るものなく一望できるわけだ。

IPC を実践するということは、500頭あるいは1000頭の豚1頭1頭に視線を落とし、しかも1頭当たり1〜2秒という一瞬で豚の健康状態を見極めながら、治療が必要な豚には投薬をしていくことを意味する。1000頭の観察に要する時間としては15〜30分程度だが、治療もしながらの作業を、空舎の豚舎を除く7棟の約7000頭に対して毎日、最低1回行うのだから半端な作業ではない。「そんなことが本当にできるのか!?」と藤本が思ったのも当然であった。

WtoF豚舎の内部。この豚舎は1バッチ1000頭の離乳子豚を導入して間もない状態だが、豚房の仕切りがない豚舎は広く余裕がある
8〜10週齢で、隣の部屋との間のドアを開放して豚は自由に行き来できるようになりスペースは倍になる。それでも出荷日齢が近づいてくると、かなりのすし詰め状態になる

講習を受け試行錯誤のIPC始まる

講習は、県内の生産者が集まって行われた。呉克昌獣医師(㈱バリューファーム・コンサルティング)が講師を務めるセミナーに続き、同獣医師のコンサルティングを受けていた熊本興畜では、農場での実践研修が行われた。そう、社長の石渕大和がIPCの試験的採用を決めたのは、呉獣医師の強い勧めがあったからだった。

翌日から、豚の健康状態に応じて、A豚、B豚、C豚、E豚の4つに分類された豚の写真を頭に焼きつけながら、目の前の豚を4 区分に評価して記録し、必要なものには注射する、という作業が始まった。藤本と黒谷がそれぞれの評価の目合わせを行いながらの試行錯誤である。

1豚舎1000頭、7棟7000頭の豚に1頭1頭、目を落としていくことが肥育担当の仕事。「IPC(豚の個体診療)の導入」と聞いて顔を見合わせた2人だったが、このあとどうなる?
WtoF豚舎は、外から入ってくると(写真奥の中央が入口)、踏込消毒槽が置けるだけのわずかな三角コーナーが柵で仕切られているだけで“通路”がない。「要らないものはつけない」というのが農場ポリシー