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動物薬業界のグローバルリーダー企業であるゾエティスの日本法人社長・加藤が、業界や業種の壁を越えてさまざまな人物と対談を行うスペシャル企画の第10弾。今回はオリンピック3連覇を達成し、その後も40歳まで現役を続けた野村忠宏氏を相手に、大舞台での偉業達成、高い目標に「挑戦」し続けた背景に迫る。

加藤 克利
KATSUTOSHI KATO

ゾエティス・ジャパン株式会社代表取締役社長。1966年7月4日、東京都神田生まれ。大学卒業後、会社勤務を経て米大学院に留学しMBA取得。2010年、ファイザーにコンパニオンアニマルビジネス統括部長として入社。16年ゾエティス・ジャパンの代表取締役社長に就任。18年より日本人初のインターナショナルのバイス・プレジデントに就任して日本に加え韓国も統括、20年からはアジア人初のシニア・バイス・プレジデントに就任して東南アジア、インド地域を含むアジア全体を統括。

野村 忠宏
TADAHIRO NOMURA

柔道家、株式会社Nextend代表取締役。1974年12月10日、奈良県生まれ。柔道一家に育ち、3歳から祖父の道場で柔道を始めた。天理大4年で出場した1996年アトランタ五輪で金メダルを獲得し、以後、シドニー五輪、アテネ五輪でも金メダル。日本柔道として史上初、アジア人としても初のオリンピック3連覇の快挙を達成した。その後、靭帯断裂などケガと戦いながら40歳まで現役を続行。15年8月、全日本実業選手権を最後に引退した。


 
加藤克利
野村さん、本日はよろしくお願いします。
野村忠宏
こちらこそよろしくお願いします。
加藤
野村さんはオリンピック3連覇という偉業を達成した柔道界の“若きレジェンド”です。その柔道人生は「挑戦」の連続だったように思われます。今回の対談では、業界において「挑戦」し続けているゾエティス・ジャパンの社長として、野村さんから「挑戦」の極意についてお聞かせいただけたらと考えています。実は私も柔道経験者ですので、野村さんに胸を借りるつもりでぶつかっていきたいと思います。
野村
柔道をやられていたんですね!加藤さんは柔道はどれくらいのご経験が?
加藤
小さいころから格闘技が大好きで、柔道は高校1年から始め、高3で2段になりました。
野村
それだけの短期間で2段までなられたのはすごい……
加藤
野村さんはたしか6段?
野村
いや、僕は7段です。
加藤
当たり前ですが、けた違いですね……。お手柔らかにお願いします。では、対談、いや“乱取り”を始めましょうか。
野村
加藤さん、どこからでもかかってきてください!(笑)。
加藤
野村さんが1996年のアトランタ五輪で初めて金メダルを獲った翌日、スポーツ新聞には「田村、まさかの銀。野村、まさかの金」という見出しが躍りました。野村さんは面白くなかったかもしれませんが、あれは本当にわかりやすいフレーズでした。
野村
あぁ、ありましたね(苦笑)。
加藤
野村さんご自身はどう思われましたか?
野村
うまいこと言うもんだな、と(笑)。でも当時は大学4年生と若かったので、正直イラッとしましたよ。「まさかの金て何やねん」と。
加藤
でしょうね。野村さんはアトランタがオリンピック初挑戦でした。
野村
はい。当時の日本柔道は男子が小川直也さん、吉田秀彦さん、古賀稔彦さん、中村三兄弟(佳央、行成、兼三)という世界トップクラスの先輩方がおられ、女子ではヤワラちゃんこと田村亮子選手が国民的スター選手でした。そんな中、僕は取材の申し込みがほとんど来ないマイナーな存在でした。
加藤
期待されていた小川選手や古賀選手が金メダルを逃し、そして大本命だった田村選手まで決勝で敗れてしまった。そんな大会での金メダルですから、「まさか」との見出しは、ある意味、的を射ていました。
野村
逆に皆さんの記憶に残っているのだとしたら、そう悪くはなかった。ここからもっと勝ちまくってスーパーヒーローになってやろうじゃないか、というモチベーションにもなりましたからね。今では講演で「まさかの野村です」とネタにさせてもらっていますよ、アハハハ。
加藤
野村さんのオリンピック3連覇から16年が経ち、今、日本柔道は井上康生代表監督の下、上り調子にあります。私はそんな柔道界をうらやましく思うことがあります。
野村
それは、なぜでしょう?
加藤
社会での認知度です。やはり柔道は日本の国技、お家芸です。それに比べ、ゾエティス及び動物用医薬品業界の認知度はまだまだ。会社自体は業界のリーディングカンパニーですが、動物用医薬品という業界自体が世間に知られていません。4年前、社長に就任したときから「業界メジャーリーグ化構想」を提唱し、業界の活性化に取り組んでいますが、まだ道半ばです。
野村
今はまだマイナーだと?
加藤
はい、そう認めざるを得ない。動物用医薬品や動物医療と聞いてピンと来る方は、それほど多くないでしょう。でも、社会的貢献度でいえば非常に高い業界だと自負しています。
野村
具体的には、どういう業務内容なのでしょう?
加藤
主に動物用医薬品の開発、製造そして販売を行っており、コンパニオン・アニマル、いわゆる犬やネコなどのペット用と、牛豚鶏の畜産用を対象にしています。ペット用には様々な病気から大切なペットを守るワクチンや、フィラリアの薬、かゆみに対する薬などがあり、ペットの病気を防ぎ、治療します。こうした薬の提供はペットのクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を改善し、同時に飼い主さんの幸せやQOLの向上にもつながります。また畜産用の薬は牛豚鶏の健康を守ることで、社会への安全な食の提供につながっています。
野村
では、加藤さんのおっしゃる「メジャーリーグ化」によって業界はどう変わるのでしょう?
加藤
業界の認知度が上がることで、より優秀な人材が集まるようになります。それが業界の発展につながり、業界そのものの魅力度が増し、さらに優秀な人材が集まってくる。そしてそれがさらなる発展につながる、その好循環を作りたいと考えています。
野村
僕も犬を飼っていたことがあり、家族のように過ごしてきました。またアスリートとして強い体の源は食べ物にあることも十分理解しています。ペットが長生きできることも、牛豚鶏の肉が食卓に並ぶことも当たり前だと思っていましたが、動物用の薬に支えられている面があったとは……。そこまでは思いが巡りませんでした。
加藤
そう言って頂けるとありがたい。理解者を増やすためにも、業界のメジャーリーグ化は避けて通れません。
野村
ところで、この「業界メジャーリーグ化構想」というキャッチフレーズ、どういったきっかけで思いついたのですか?
加藤
私は常々、難しいことを簡単に伝えることをモットーとしていて、これは経営者として必要不可欠な能力だと思っています。中には逆に、簡単なことを難しく説明する人もいますが、それでは人の心に響きません。私が社長に就任した頃、動物用医薬品業界は旧態依然とした商習慣が残っており、またそれを変えようという気概を持った人も少なかった。社長就任を機に「それなら自分でやってやろうじゃないか」と思ったわけです。しかし、それには周囲の協力が必要となる。
野村
なるほど。全員が共通の目標を持つためのキャッチフレーズ、加藤さんのビジョンだったわけですね。
加藤
おっしゃる通りです。業界の活性化を含めた改革案を社内外に宣言しようと決意した私には、誰にとってもストンと胸に落ちる言葉が必要でした。手前味噌ですが、これがなかなか好評で、今は業界内外の多くの方々から「加藤さん、あれいいね」「我々もとことん協力しますよ」と言って頂いています。
野村
言葉の持つ力を考えさせられますね。
加藤
人に自分の考えを伝えるためには、とにかくシンプルで心に響く言葉が必要だと改めて実感している次第です。
さて、野村さんはアトランタの後、シドニー、アテネでも金メダルを胸に飾りました。さらにその後もケガと戦いながら40歳まで現役を続けられました。挑戦に次ぐ挑戦だったわけですが、挑み続けた理由は何だったのでしょうか。
野村
自分にとっての大きな転機はアテネの前でした。アトランタ、シドニーと連覇し、絶対的なチャンピオンだという自信と誇りがありました。当時はいかに最強のまま格好良く辞めようかということを考えていました。だからアテネ出場は当初、頭になかったんです。
加藤
アメリカ留学もその時期ですよね。
野村
はい。完全に引退する勇気もなく、どうして良いのか、自分でもわからない状態でした。それで自分の本心を探るために、2年間「柔道から逃げた」わけです。金メダリストとしてのプレッシャーを感じることなく自由に過ごしたアメリカの地で、大切なことに気がつきました。

加藤
詳しく伺えますか?
野村
世界のトップになるには、世界一の意識を持ち、世界一の稽古をしなくてはなりません。ただ、どれほど強い意志を持って取り組んだとしても結果が保証されているわけではない。これはスポーツ全般、いやビジネスにも当てはまることでしょう。
加藤
たしかに、この世に結果が保証されているものなどありませんね。
野村
そうした環境の中で自分は稽古を積み、世界の頂点を目指し挑戦してきました。その自分がアテネで3連覇を目指すかどうかで悩んでいる。しかも挑戦しない理由として「もし負けたら周りからどう言われるのか?」と、結果を恐れている自分もいた。チャンピオンのまま辞めると言えば格好良いのですが、結果を恐れて挑戦をせずに辞めることが、本当に正解なのか?柔道から離れたことでそれに気が付いたんです。
加藤
それで2年のブランクを経て、アテネへの挑戦を決めたわけですね。
野村
そうです。しかし2年のブランクの影響は予想外に大きく、公式戦復帰となった02年の講道館杯では5位、翌03年の世界選手権は3回戦で敗退し、敗者復活戦から3位になるのがやっとでした。周りから「野村も終わったな」とまで言われたものです。
加藤
精神的にも苦しかったでしょう……。
野村
どん底でしたね。でも、僕は自分を信じていた。どん底の状態でも練習を積み、挑戦を続けた結果、アテネの出場権を得て、最後は金メダルまでたどり着いた。このときに目標と信念をしっかり持ち、挑戦し続けていればこそ見える世界、得るものがあるんだということに気が付いたんです。
加藤
アテネの後、野村さんは靭帯断裂などのケガに悩まされながらも15年8月まで現役を続けられました。3つの金メダルの影には苦節の時間があったんですね。
野村
アスリートですから当然、年齢による衰えもあり、勝てなくもなります。でも僕はそこから逃げず現実と向き合い、新しい自分の柔道をつくっていきました。挑戦し続けることで新しい自分と出会えたと思っています。
加藤
ビジネスの世界でも現状維持は衰退と同じです。ゾエティスも「挑戦」をモットーとしています。業界最大手として他社の後追いはせず、常に革新的な商品を送り出し、自ら市場を創出しています。たとえば犬のかゆみに効く薬に関してもゾエティスはより安全性が高く、早く治療できるものを開発し、市場に送り出しました。また投薬回数を減らすことでワンちゃんはもちろん、そのご家族の負担を低減できる新薬も開発してきました。

野村
犬は「かゆい」とか「痛い」とか話すことができないから、画期的な新薬が出てくることはペットにとっても飼い主にとっても幸せですね。
加藤
その幸せもゾエティスの「挑戦」の結果、生み出されたものだと自負しております。
さて、ここからは柔道にもビジネスにも当てはまる、ブレてはいけない「芯」について伺います。野村さんの「芯」となる柔道スタイルはどういうものでしたか?
野村
僕の根本は少年時代から大学まで通じて学んだ「天理の柔道」です。それは「しっかり組んで戦う」というものです。でも一時期、ブレかけたことがあります。
加藤
それはいつ頃ですか?
野村
小学校、中学校時代は小柄で女子にも負けるくらいでした。体重は32キロ程度で、高校1年生で45キロ。だからしっかり組んで戦う柔道をやっても勝てなかったんです。それでスピード重視の柔道をやるようになりました。あまり組まずに、組んだらすぐに技をかけるというスタイルです。それが体格に合っていて、相手を投げられるまでになった。「この方がいいな」と思い始めたとき、父からきつく言われました。
加藤
天理高校柔道部の監督を務めていた野村基次さんですね。どんな言葉を?
野村
普段、一切アドバイスをくれなかった父がこう言いました。「今だけ勝てる選手でいいなら、そういう柔道をすればいい。もしお前が努力を続けてその努力が実ってチャンピオンになった時に、本物の実力を持った息の長いチャンピオンでありたいのであれば、小手先の柔道はやめろ。今は勝てなくてもいいからしっかり組む柔道をしなさい」と。
加藤
とても深い言葉ですね。
野村
そうなんです。普段から口うるさい父だったら聞き流していたと思います。でも普段は何もアドバイスをくれない父が初めて声をかけてくれた。だからこそスッと自分の中に入ってきたんでしょうね。それからしばらくして、また勝てなくなりましたが、大学に入り、体ができあがったことで、それまで取り組んできた柔道が実を結びました。組む柔道を続けたことで、受ける強さも知らない間に身に付いていた。確実に自分の成長の糧になっていたんですね。
加藤
目先のことにとらわれず、先を見据えて土台づくりに励んだことがオリンピックでの3つの金メダルに結びついたんですね。ビジネスもまったく同じだと痛感させられます。
野村
では、逆に聞きます。加藤さんが企業のトップとして一番大事にしている「芯」とはどういうものでしょう。
加藤
きれいごとに聞こえるかもしれませんが、企業として世の中や社会にいかに貢献できるかが最も重要だと考えています。企業としては当然、利益を上げる必要がありますが、それだけを目的にしていては短期的には結果が出ても、継続的な成長は望めません。野村さんのおっしゃった「今勝てる柔道」と、「長くチャンピオンでいるための柔道」の違いでしょうか。
野村
まさにその通りでしょうね。
加藤
中長期的な成長を目指すゾエティスでは、社会貢献活動(CSR)にも力を入れています。小中学生向けに動物の命の大切さを訴える授業プログラムの提供や、動物の健康や命を守る獣医師という仕事の素晴らしさを伝える活動も実施しています。こうした社会貢献がひとつの軸で、もうひとつが社員のエンゲージメントの向上と人材開発です。
野村
それはどういうものでしょうか?
加藤
エンゲージメントとは噛み砕いて言うと働き甲斐です。企業への愛着や仕事に対するモチベーションを表す概念です。私は現在、アジア全体を統括しており、毎年、5~6項目の主要な目標を立てています。その中でエンゲージメントの向上と人材開発は最重要項目としています。それは企業にとってすべての土台になるもので、そこがしっかりしていないと何も達成することができません。逆に高いエンゲージメント、そして人材開発が進めば目標の達成が容易になります。それが結果として高い業績や継続的な成長につながると考えています。そういえば、野村さんにぜひ聞いて頂きたい話があるんです。私が20代の頃、地方の柔道場で出会った仙人のような柔道家の話です。
野村
仙人ですか?それはぜひ伺いたいですね。
加藤
社会人生活を始めたばかりの頃、私はある地方都市で働きながら、町の道場で行われていた柔道の練習にも参加していました。壇上には高齢で小柄の方がいつも座っていた。その方は70歳くらいでたまに壇上から指示をするだけ。私たちは「仙人」と呼んでいました。ある日、乱取りをしていたら仙人が突然、壇上から降りてきた。そのまま私のところに来て、「次、やろう」と。紅白帯なので6段以上の有段者なのはわかるのですが、ご高齢でしかも私よりはるかに小柄です。光栄ながらも、正直、戸惑いましたよ。
野村
で、どうなりましたか?
加藤
乱取りが始まり、仙人は自由に組ませてくれました。驚いたことにその段階でもまったく力が入っていないんです。「これ投げちゃっていいのかな、そんなことをしたら仙人の面目丸つぶれだぞ……」。私の心の中には葛藤がありました。それを吹っ切って、エイヤッとばかりに投げようとした、まさにその瞬間ですよ。岩のように動かないんです、小柄な仙人が……。崩そうとしても、グラつきもしない。あれには驚きました。
野村
想像できますね。それは力ではなく脱力とのバランスだったり、間合いをちょっと詰めるとか、そういう高度な技術なんでしょうね。日本柔道の真髄かもしれません。

加藤
野村さんも現役時代、脱力をテーマとされていたと聞きました。
野村
簡単に言えば力で相手をねじ伏せるのではなく、力を入れるところと抜くところのバランスです。柔道において筋力やパワーは必要ですが、それだけでは勝てません。無駄な力ではなく、組んでいても瞬間で力を抜く技術があるかどうか。それが一瞬のスピードを生むのです。実際、素晴らしい技をかけたときは相手の重さを感じません。逆もまた然りです。これこそがまさに脱力で、相手に投げる気配すら感じ取らせないのです。力まかせに「投げるぞ」では超一流には通用しません。
加藤
力を入れるところと脱力するところのさじ加減、それこそが超一流の証というわけですね。私も肩に力が入りすぎて失敗してしまうことが、しばしばありますが、野村さんの教えを頭に入れ、ビジネスの場でも「達人」を目指したいと思います。
加藤
野村さんは現役時代、「練習嫌い」と伝えられていましたが、やらされるだけの練習では意味がない。野村さんは練習の質や量を自分でマネジメントしていたのだと推察しています。
野村
確かに練習は嫌いでした(笑)。しかし、自分の目標である「世界一」になる為に、他の誰よりも緊張感のある厳しい稽古を重ねていました。「練習時間が短い」とよく言われましたが、やるべきことをやっているという自負があったので、休むときは自信を持って休んでいました。
加藤
自信を持って休んでいた、とは胸に響く言葉です。休養も含め、充実した日々を送ることで、本番での恐怖や不安を取り除いていったんでしょうね。
野村
いやいや、それでも恐怖や不安は拭えません。オリンピックに限らず大事な試合が近づいてくると自然に緊張感が高まっていき、やがてそれは恐怖と化します。恐怖のピークは試合前日にやってきます。眠れない時には背負い投げを決めて表彰台の頂点に立つシーンを想像するのですが、ふとした時にネガティブな結果が頭をよぎるんです。
加藤
野村さんほどの選手でも……。
野村
はい。試合前夜は2、3時間しか眠れず、当日計量で朝6時半には起きて計量室に行く。すると外国人選手がいるわけです。同じ階級なのにみんな筋肉ムキムキで、「こいつ凄い体しているなぁ」と。そこで恐怖が増幅される。でも、それを引きずったままでは勝てません。どこかで断ち切る必要がある。僕にはそのための儀式がありました。
加藤
ホォー、それはどんな儀式ですか?
野村
畳に上がる直前にトイレに行き、鏡の前に立つんです。それで自分の目を見ながら「今日、お前は何をするためにここに来たんだ? ビビッて負けるために来たのか? 勝つために来たんだろう」と自問自答するわけです。この日のために積み重ねてきた努力を思い浮かべ、「やれることは全部やり尽くした。あとはそれを出すだけだ」と自らに言い聞かせ、最後は冷たい水で顔を洗って、バチーンと頬を一発。それで畳に向かっていました。
加藤
恐怖を克服した自信の根拠は、やはり日々の練習だったわけですね。
野村
はい。試合の日に特別な自分がいるわけではなく、4年間の努力の成果を出すだけだと思っていました。
加藤
ビジネスの場でもまさに「練習」は重要です。ビジネスにおいて練習とは準備であり、研修です。弊社の場合、特に営業のロールプレイ研修には力を入れており、ロールプレイなしにお客様に会いに行くのは、練習なしで試合に臨むようなものです。それでは良い結果が出るわけがない。また時間を作って頂いたお客様にも失礼になります。野村さんのお話を伺っていて普段の練習や準備の重要性を再認識しました。
加藤
今後のことについてもお聞かせ下さい。野村さんは引退されてから5年、今後はどういった活動を?
野村
今は講演やテレビ出演など現役時代には出来なかった経験をさせて頂いていています。その合間には子供たちに柔道を教えることもしています。あとは本を読み、いろいろな方と出会う。そうすることで新しい自分が構築できるのではないかと考えています。
加藤
聞くところによれば、現役時代の野村さんは近寄りがたいオーラを発していたそうですね。
野村
よくそう言われます。現役時代は柔道を通してしか物事を見ていませんでした。何をやるにしても、誰かに会うにしても、それは柔道にプラスなのかどうかしか判断基準がなかった。今はもっと視野を広げ、いろいろな方と会うようにしています。今回、加藤さんにお会いしたのも、自分を磨くためです。そういえば、せっかくの機会ですからウチのペットの話をしてもいいですか。
加藤
ぜひお願いします。
野村
犬を飼い始めたのはアテネへの挑戦を始めた03年です。復帰したのに思うような結果が出なくて、気分はどん底。癒やしを求め、犬を我が家に招き入れました。
加藤
名前は?
野村
メグと名付けました。メグは僕の心の支えでした。大阪の世界選手権で敗れ、誰にも会いたくない、誰とも話したくないとき妻に「メグだけ連れてきて」と連絡したこともあります。家族も大きな支えでしたが、その日の夜はメグの存在に本当に心が救われました。残念ながら去年の12月に亡くなりましたが、今回、対談しながらメグのことを思い出してしまいました。
加藤
それはいい話ですね。野村さんの偉業を支えたのが犬のメグちゃんだったとは……。
野村
その意味で、加藤さんにはこれからも動物用医薬品を通し、多くのペットの健康を守り、そして飼い主を幸せにして頂きたいと願っています。
加藤
心にしみるエールをありがとうございます。私はゾエティス・ジャパンのトップそして今年より就任したアジアのトップとして4つの役割があると考えています。ひとつめはゾエティスという会社、そして社員を成長させること。ふたつ目が動物用医薬品業界の活性化と、市場の拡大。3つ目が日本という国の素晴らしさを海外に発信すること。そして最後がアジア全体を統括する立場として、アジアを世界のナンバー1にすることです。現在、ゾエティスは米国以外で世界を10地区に分けていますが、ビジネス規模としてアジアは2番目に大きい地域です。業績でも1番を目指していますが、それよりも社員のエンゲージメントや当事者意識の高さ、組織文化の素晴らしさで世界一になりたい。その結果がAsia as No.1(アジア・アズ・ナンバーワン)につながると信じています。
野村
今日は加藤さんから本当にたくさんの刺激をいただきました。加藤さんは社長として現役バリバリですから、今後も思い切って自らの信念の下、挑戦し続けていってください。応援しています!
加藤
今日の対談で私も野村さんから多くの勇気を頂きました。ありがとうございます。
野村
仕事と同時に柔道も2段からさらに上を目指してみてはどうですか?
加藤
そうですね。いつかは野村さんや仙人のような達人になれるように!